私設現代宗教研究所ブログ

日本の現代宗教に関する情報を発信していきたいと思います。不定期更新

佛光寺派の考える管長制とは?

京都市下京区に本山を擁する真宗佛光寺派が「管長制」の導入を検討していたという。

各組織がどのような役職名を使っても全く自由なのだが、佛光寺派の官僚・政治家は「管長」の言葉の意味をどのように認識しているのか。

戦前において「管長」というのは法令で規定された準官吏であり、勅任官待遇が定められていた。近代の公認教制度の要であった。

また宗教団体だけでなく、華族制度でも氏族グループごとに管長という名の職が設置されていたこともある。もちろん名称の由来に選任の方法は全く関係ない。


天皇あるいは大日本帝国政府から集団を管理する権限を委ねられた役職という意味合いだと思われ、管長とはいわば「国家神道」を象徴する職名と言っても過言ではない。「僧侶らの任免権をあなたに委任するが本来それは国家のものだ」という発想に基づいている。


だからこそ戦後、反国家権力志向の真宗各派は、他の神道仏教教団とは違って管長職を廃した歴史があったのではないか。


現在において真宗教団が「管長制」導入を検討するというのは、今の日本国政府が本山住職を任命するのを望んでいるということだろうか。佛光寺派は「寺院消滅」を避けるために国や天皇の権威を再び利用したいということだろうか。だとしたら昨今注目を集めている日本会議陰謀論者も驚きの政教一致論だ。是非もなく違憲である。


佛光寺派の僧侶は「昔のことは知りませんでした」とでもいうのだろうか。宗務総長にインタビューでもしてみたいところだ。